現在、プリント基板は、圧倒的に中国で生産されています。
しかし、25年ほど前までは、中国ではプリント基板の生産は
僅かしか行われていない状況でした。
どのように世界の生産工場になったか、中国の基板メーカーの
変遷をおさらいして見ることにしましょう。
1990年代は、中国への台湾系をはじめとする外国資本の基板メーカー
の進出もまだ手探り状態で、まして中国ローカル系は、技術品質が低く、
性能を重視する日本製品に使えるレベルではなかった。
ただ唯一、香港系のプリント基板メーカーは、地の利もあり、中国の
外資呼び込みの優遇策などを利用し、他国に先駆けて深圳地区進出を果たした。
電卓や安価なラジカセ(死語か?)などのオーディオ機器では、
その価格から積極的に香港系中国製基板が採用されはじめ、使用先は、急拡大した。
その成功を確認した台湾メーカーは、台湾での人件費高騰、
人手不足から、大挙して中国へ工場建設をする事となった。
これは、1990年代後半から2000年台前半に起こった。
進出先は、香港系のまだ多く出ていない、華南の広東省であれば東莞市、
華東であれば昆山市周辺に集中的に行われた。
昆山市の人口は、台湾系の進出が始まる前の4万人から15年ほどの期間で
120万人程度になったと言われている。