アートワーク設計の歴史

ここではAllyJapan()での実体験や技術者の経験に基づくちょっとした知識などを交えて、
技術者の視点から弊社をご紹介させて頂きたいと思います。

 

申し遅れましたが、私は設計部部長の淺原と申します。
「淺」の字が旧字体なので、の字がに見えるのかちょくちょく「うるしばらさん」

と呼び 間違われる事がありますが、「あさはら」と読みます。
今後とも宜しくお願い致します。

 

まずはかる~く私の自己紹介から。
この業界に入って約30年。手貼りの頃から関わってきました。
手貼り、と言っても若い方はピンとこないでしょうね。

「プリント基板:手貼り」の関連性が
・・・そもそも手貼りってなに?ですよね。



軽く自己紹介するつもりでしたが、まずは私の知る限りのアートワーク設計に関する歴史を
交えて、お話しましょう。

 

 

【アートワーク設計の歴史】
(こんな大袈裟な題名をつけていいのか迷いましたが、

書いてあることはそれに近しいもの ですので間違いではない、

懸念はただ自分が体験した事しか書けないって事なので、
まぁ歴史半分、日記半分と言ったところになるでしょうか)

 

私がアートワーク設計を始めた頃は、当然パソコンなど普及しておらず、

通信は電話とFAX、そして足(出向いて直接話する)という時代でした。


当時、回路設計者の方から支給される資料は「回路図」「外形図」「部品表」が主です。
外形図、部品表は今とほぼ変わりはありませんが、ラフな手描きも多かったです。
回路図はちょっと違っていて(勿論使われる部品は現在とは異なりますが、それ以外にも)
ICにはピン番号が振っていない場合が多かったです。ゲートやインバーターはIC番号すら
振ってない回路図でした。

 

そこでアートワーク設計者はカタログを調べ、

配置配線がスムーズに行くようICの割り振りや、 ピン番号付けを行っていたので、

ピン番号を振り間違えたり、本来アンドであるICをナンドの
ICへ割り付けたりするミスもありましたが、いまのように

「これとこれを入れ替えたら楽に配線 できるのに」を自由に行う事もできました。

 

全てが紙ベースでしたのでネットリストというものも存在せず、

部品の配置も脳をフル回転して完成イメージを想像して行っていました。
昔、先輩から「設計は配置7割配線3割だぞ」と私は教わった事がありますが、

の考えが今でも私の設計の基礎となっていることは間違いありません。

 

さて長くなってしまいましたので、この続きは次回にしましょう。
本当は私の都合じゃないかって?その通りです!長くなったなんて理由付けでして

私の執筆事情です。


そういえばもう古い話題になってなのかも知れませんが芸人しながら本かいて、

芥川賞までとってしまうってすごいですよね!増刷増刷で200万部超えだとか。
それに比べてブログ執筆で煮詰まる私って・・・orz

 

ご拝読、ありがとうございました。次回このつづきから。